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しかし公爵は逆境に奮起する。「マントヴァに負けないような街を作ってやる~!」と。 街を囲む不等辺六角形の城壁(画像↑)は、ルネッサンス期の極めて進んだ軍事施設と評価され、計画都市の傑作として、またその芸術性の高さから、ルネッサンス期の「小さなアテネ」と呼ばれる。城壁で街をがっちり囲んだあとは、ジャルディーノ宮殿(公邸)やドゥカーレ宮殿(私邸)や古代風劇場などを次々に建設していった。 公爵私邸のまばゆいばかりの装飾や天井画。 96mに及ぶアーケードはルネッサンス期の中で最も長いものの一つである。 ヴェスパジアーノ公爵が理想の都市建設に取り組んでいた頃、極東の国日本は室町末期~戦国時代にあった。当時の日本人には稀にみる眉目秀麗な織田信長(1534~1582)が尾張を平定後、足利義昭を破って京都から追放し室町時代を終らせるが、天下統一の夢も明智光秀の謀反により無残に打ち砕かれ、本能寺で自害。 この2人に無理やり共通点を見出すとすれば、外国嗜好が強かったことか。ヴェスパジアーノ公爵は2回のスペイン遠征によりスペインの調度品や嗜好品を、信長はイエズス会を通して垣間見たポルトガルのそれらを好み、日常的に愛用していた。 【関連記事】 サッビオネータ・後編
by emilia2005
| 2008-02-23 04:18
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